乳がん記録帳 in スイス

33歳でBRCA2異常の乳がん発見。2019年 肝臓・骨・リンパへの遠隔転移。スイスで治療中。2021死

術後 一週間

先週月曜日の手術から、早くも一週間が経つ
大きなトラブルも無く、痛みもそこそこに
自己診断では、経過はかなり良好だと思う

術日のことを書こうと思う

術日は、朝から放射性物質の注射のため、朝8時から「別」の病院へ
注射の液体には色はついておらず、注射後20分間揉む
その後骨シンチの機械に入って、右リンパの画像を撮る
画像を持って一度家に戻り、10時に手術の行われる病院へ入る

入院の部屋を案内され、荷物を置くのもそこそこに
主治医が登場
執刀もするので、その前に青い油性ペンでマーキングしに来た
サササッと、胸の形と切り口をマーキングされた後
朝撮影したリンパの画像を渡した
準備が整っているらしく、手術着と紙パンツをはき、すぐに手術室へ向かう
途中、待合室のような場所で書類にサインし、旦那さんとお別れ
ポートの手術を行った病院だった為、「天井 同じだな」と思いながら
手術ベットへ横たわった

看護婦によって、どんどん装置が取り付けられ、右の手の甲へ点滴用の針を刺される
ちょっと痛かったが、これから待ち受けるものに比べたら 屁でもないだろうと気にしない
助手の先生が覗き込み、「ハロー」なんて挨拶をしたらもう記憶が無い

目が覚めると、書類にサインをした待合室のような場所に運ばれていた
病室まで行くのには、別のベットへ乗り換えなければいけないらしい
術後すぐの体を、無理矢理動かす
「ムリムリムリっ」と言っていたような気がするが
痛かったような気がするが、意識が薄いので忘れてしまった

初日は寝てばかりいて、あまり覚えていないが
旦那さんが同じ病室のドイツ人女性(この方も朝に簡単な手術をしている)と
たくさん話をしていたこと
手術時間が予定の4~5時間より早い、3時間半で終われたこと
夜の食事が普通に運ばれて来たが、気持悪くなって食べれなかった
その食事を旦那さんが食べていたこと
夜中に何度もチェックに来て、明け方に尿管のカテーテルが抜かれ、ちょっと焦ったこと
手の甲から入れられていた痛み止めの点滴も、同じく明け方にはずされたこと
痛みは感じず、とにかく胸が重かった

これくらいを覚えていた